ローリテラシー怠惰マンの生存報告書

べるほわ/すたあ/葉桜/鯑がお送りするだるだる大後悔

「知識欲」についておもうこと

父も母も本が大好きで、幼少期から本に囲まれて来たと言っても過言でない人生を歩んでいる。

というか高校生になって「ウチの母は本が嫌いで家には教科書以外にほとんど本がない」という後輩を知って「世の中にはそんな奴がいるのか……(ドン引き)」って感じだったので、まあ恵まれた環境ではあったと思う

という訳で僕個人で所有してる本棚にも本が色々ある。漫画もライトノベルも海外文学も哲学書もあるし、「地球の歩き方」や折り紙の本もある。まあ積ん読が増える一方なのだけど…(昨日も増えた)

そんな環境がそうさせるのか知らないけど、本を買う、あるいはその行為を通して知識を蓄えることが大好きなんですよ、僕。勿論蔵書の多さが知識量の多寡と直結するわけではないけど、それでも一種の指標として、蔵書の多さはその人の知識量をある程度推し量れるものだと思っている。ラノベだろうと漫画だろうと夢野久作だろうと同じこと。

また同時に、知識に対する執着、知識欲に対しては、これはある種最も人間らしい行為なのではないかと思う。人間の進化の過程での最も大きな功績を理性の獲得であると位置付ければ、それへの欲望は当然人間の進化の結果と言える。しかも、欲望とは勿論本能を象徴するものだ。欲望を抑制するものが理性である。人間は欲望をコントロールできる動物なのだ。
しかし、知識を得ようとする欲望は、これは確かに欲望のひとつに位置付けられるものでありながら、その特性ゆえに抑えるべきものではない。しかも、知識そのものが理性に由来するものである以上、人間以外の動物には持ち得ない欲望であるのだ。
本能のみで生きる動物に対して、人間は理性を得ている(デカルト二元論を採用していることについては御容赦いただきたい)。食を得たいという欲望にのみ突き動かされて動く動物とは違い、人間は欲望を抑えられるが故に人間なのである。しかし、知識欲だけは例外だ。それは確実に欲望のひとつであるにも関わらず、その実、厳格に理性の産物であると言う他ない。不思議なものなのだ。

また、知識欲が本能と理性の両方の側面を持つものであるならば、純粋な理性のみで存在している「機械」には、知識欲が存在しないと言えるのではないか。アシモにもペッパーくんにもSiriにも、より多くの知識を得たいという欲望は存在しないのである。
つまり、知識欲とは、真に「人間のみが持っているもの」なのである。だからこそ我々は、知識欲に対しては忠実でなければならない。

そんなことを思った。

すたあの創作世界

そーいえばアテクシ、冴えない物書きでして。高校で文芸部に入って以来駄文を垂れ流しておるのです。大学でも高校からPNこそ変えたものの頑張ってくつもりだし、他にもpixiv,ハーメルン,SCP財団とかにアカウント持ってます。どっかの新人賞に応募できるような長編を学生のうちに1度は書きたいと思っています。

最近大学生になってからの作品第一号を書き上げて、これから先輩や同輩に批評会と言う名のタコ殴り大会に参加させられるのです。はーつらつら。

そんでもって、この度の作品には元奴隷の女の子が出てきます。ただ、この女の子の思考の変化を書いたものであったがゆえに、彼女の内面描写が複雑かつ何回になってしまった結果、
「(無学なイメージのある)奴隷の来歴をもつけど、なんか語彙力は豊富だし頭良い」
と言う、あんま整合性取れてないキャラが出てしまって。

ま、直さなかったんですけど。致命的すぎて。

そこに至って、私はどうやら、「達観or頭脳明晰な女性キャラ」を出させ過ぎな気がする、と気付いた。アニメとかでもいるからイメージつく人もいると思うけど、眼鏡で、主人公からみると悪友ポジな科学部の女、的な。成績良いけど性格悪い。あんな感じのキャラクター、大好きなんすよね。だから小説にしょっちゅうこのタイプの女の子が出てる。やったらに難しい言葉使いたがったり、周りの人たちを軽蔑してたり。好きなものは好きだからしかたありませんね!

書いてる途中で寝落ちしたのでここで切り上げます。

最初の挨拶

やあ、聞いてくれよ。
この前な、界隈ではてなブログのちょっとしたブームがあったっぽくてな、見事に乗り遅れたんよ。
それでね、自分でも「今から参戦してもなぁ…」と足踏みしてたんですけど、まあ別に困らんしやるかな、と思ってですね、してみんとてするなり状態です。
生存報告書なので不定期更新です。